♪第3楽章♪ 2024.11.16
このシーズンになると大学4年生が追い込みかます卒業論文。
我々の頃は全部手書きで、原稿は早稲田周辺の業者に持って行ってハードカバーに製本してもらってました。
大学も製本済みのものしか受け付けません。
そんななか強者がいて、ギリギリになっても書けないのであらかじめ数十枚の白紙原稿用紙をハードカバーの中に綴じ込んでもらい、卒論締切日までその中身に直接書き続けていたヤツがいましたw
締切当日、「上さん、俺もうダメだわ」とそいつから電話があり、とにかくギリギリまでがんばるよう励ました覚えがあります。
東西線に乗って、電車の中で一生懸命書き続けた甲斐もなく、神楽坂あたりでまだ10ページくらい残っています♡
さすがにあと20分で締め切りなので、覚悟を決めた彼はその「残り10ページ」をカッターで切り取り、中途半端に息絶えた最後のページのど真ん中に↓
「すみませんでした」
とだけ書き残して提出してしまいました(゚ω゚)
何とかする
何とかなる
何とでもなる
その時私なりに得た人生訓でしたw
♪第2楽章♪ 2024.11.12
中学生の頃、イングヴェイマルムスティーンというスウェーデンのギタリストに出会いました。
ディープパープルというハードロックバンドが好きだった私は、ギタリストのリッチ―ブラックモアのスタイルを継承しつつ、
それを遥かにしのぐスピードと技術、バッハに代表されるバロック音楽をベースにしたギターサウンドに、
文字通り「落雷にあった」かのような衝撃を受けてしまいました。
マーシャルの100ワットのアンプ、
フェンダーのビンテージもののストラトキャスター、
そしてバロック時代のリュート(古楽器)を模して制作されたスキャロップドの指板。
当時どれほどイングヴェイの機材に憧れたことか。
早速親に頼んで廉価版のエレキギターを購入し、おそらく一日8時間は練習していたと思います。
練習の甲斐あって、町内ではそこそこ名の知られたギタリストに成長した私は、
いくつものバンドを掛け持ちするミュージシャン気取りの小僧となっておりました。
この当時は「音楽でメシを食っていく」と思い込んでいたので勉強なんか一切やらなかったです。
いろいろあってその道は挫折しましたが、大人になった今、
別の分野で生計を立て、そのお金でマーシャルのアンプもフェンダーのストラトも手に入れ、
長年の練習もあいまって「イングヴェイに似た音」は作れるようになりました。
プロにはなれなかったけれど、こういう夢のあり方もまぁありなんだろうなと思っています。
「好きなことを職業にする」この言葉の意味をさまざまに考察する秋の夜長でありました。
♪第1楽章♪ 2024.10.31
ご存じの方も多いかと思いますが、私はもともと音楽の道を志しておりました。
小学校4年生でオーケストラと共演していたくらいですからかなりのガチ勢です。
そんな私の武器はチェロであります。
ときどき生徒さんたちにも披露しております。
特にチェロでバッハを弾くのが大好きです。
バッハについては2020年に関西学院大学の入試にも出題されていますが、
「構造」が綿密に計算しつくされた音楽を作ります。
人知を超えた宇宙を感じます。
関学の入試英文では、
バッハの構造をアインシュタインがこよなく愛したというお話しが書かれていました。
私が英語を理解する大きな手掛かりもやはりバッハでした。
私の授業を聞いたみなさんならなんとなく想像つくと思います。
共通テストも同志社、関学、阪大、京大。
みんな構造で解決します。
単発の知識よりも大局の構造。より本質を目指したい。これは人の本能だと思いますよ。
場当たり的な彼氏・彼女より永遠の愛(笑)、みたいな。
若い人は大人が思うよりもはるかに本質を求めています。
「ウソ」がなく、「本質」をともに希求する空間を作り続けたいと思いつつ、
日々の業務に精励しております。